理想と現実について

やりたいことについてずっと悩んでる。

 

最近やっと分かったことが、自分がどれだけ自分のことを理解できてないかということ。

 

何の根拠もなく、ただ人よりなんか出来るようになれる気がしてるし、何でもやれるような気がしてる、それが理想の自分。

 

実際は行動に移すところは得意やけど、自分と向き合って何かに没頭したり、壁を越えるような努力をするのは苦手で嫌い。

 

バンドを長くやっている。ドラムを長くやっている。同じ社会人でも非常に上手いドラマーにたくさん会った。彼らが出来ることを俺は出来ない。でもやれば出来る、続けてればいつか出来るようになれる、とか根拠のない自信だけ持ったり、俺には必要ない技術だ、と逃げたりする。出来ないことを出来るようにする努力から逃げる癖がある、向き合わないのに続けてることで出来るようになると思ってる。それは一理あるけど、他人と一緒にやってる以上向き合わないといけない時が必ず来るだろう。その時に逃げないようにするのは相当のエネルギーが必要だ。しかし辞めずに続けてきた。逃げ続けてるようで自分なりには向き合えているのかもしれない。ただ、成長は向きあうことの繰り返しでしかない。とんでもなく上手くなっていく俺の友達と比べるとまだまだ甘い部分が多すぎるだろう。この辺は俺のバランスを取る性格のせいにしてしまいたい。

 

どうして生きたいのかをずっと考えてる。理想は大変でも誇りを持てる仕事をしながら、ドラムを楽しく続け、興味の赴くままに歴史や、世界のことを学び続けること。今は、都会に引っ越したくて引っ越した。ここでやりたいことは人との繋がりを増やしたり、色んな街に行くこともそうだけど、それよりも自分と向き合うことにある。自炊や整理が好きになった。3年前の俺には考えられないことだ。良い方向に行くことはできる。いつでも。

 

大変でも誇りを持てる仕事を探すことに全力をまだ注いでいない。今の仕事を何となくこなしながら、だらだら過ごす余裕を持ちつつ、思い立ったことを出来る今の時間が、貴重だと感じているから、もう少しこのままで居たいと思っている。本音はそうだ。モラトリアムというやつだと思う。しかし流れる時間に対して、そこそこ良い歳になってるのにこうしていて良いのかという将来への不安を感じずに居られないこともある。その不安を抱えている状態はメンタルに良くない。今の時間が好きだという気持ちを疑ってしまうようなことだ。自信が無くなっている状態のまま過ごす時間は良くない。今の時間が好きだ。だから今思いついたことを全力でやろうと、改めて思う。

 

24歳ぐらいの時、社会人2年目で名古屋で過ごしていたときは一生をサラリーマンで終えるなんて嫌だと思ってた記憶がある。根底にあったのはやりたくないことで人生のほとんどの時間使うのは嫌だという気持ちから来てたと思うけど、じゃあ何をして生きていくのか?に対してその当時はバンドマンありかな、とか言ってた気がする。仕事を辞めてバンドに全振りした自分を見てみたいとか言ってた気がする。身の程知らずだなって今振り返ると思う。

 

出来ないんじゃなくてやろうとしてない、やり方が分からないといって向き合おうとしないのが俺の性格だ。最近学んだ。

 

そして職人気質というかクリエイティブな人間にはいつも憧れる。芸人やバンドマンを見て思う。作品を作るということに憧れがある。俺もこの心の奥底にあるものを歌や芸などの形にしてみたいといつも思っているが、出来てない。勇気がない。そこに賭ける労力や情熱を見出せていない。つまり、それは俺の性格が、出来ないんじゃなく、やろうとしない、向き合おうとしないというところに直結する。理想に対しての現実の自分に悲しくなることが多くある。

 

しかし気が向いた時の俺は強い。気が向いたらすごいスピードで突き進むと思う。自分は今のところクリエイティブにはなれないって感じているが、いつかやってやりたいなと思う。これに関しては焦りたくない。一生クリエイティブじゃないならそれもそれで、憧れのままで生きていく。そうではない俺が何をやってるか、俺にしか出来ないことをやっていると思う。俺の好きなクリエイティブな人が、俺をそう褒めてくれたことがあることを、希望に出来る。

 

今のモラトリアムを謳歌しながらも、仕事に対して嫌悪感が凄いことになりつつある最近は、何かそっち方向に舵を切りたいと思う頭がある反面、バンドを一生懸命やりたいという頭もあり、いつも俺は自分の頭を本気でやりたいことを複数並べ、そしてどちらも捨てようとせず中途半端にこなした挙句、自己嫌悪で落ち込むことを繰り返しやっている。ハッキリさせて一箇所にエネルギーを使うってことを一生やらないつもりか。それがきっと一番効率が悪いんだと思うけど。もうずっとこうだから、これからもこうなんだろうってこの部分に関しては開き直るしかないような気がする。悪く言えば中途半端だが、良く言えばバランス良くやってると思う。それで良いなと思える時もある。

 

そもそも何かに打ち込もうとすると、大抵それは1人の時間になる。俺はドラムの1人の練習が好きではない。それはやることが多すぎて無限に感じたり、納得いかない時間が多くて悲しくなったり、タイムリミットが迫ってくる感覚にどうしても焦りを覚えたりすることが多いからだ。でも本来、それは誰にでも訪れるもので、結局は目を背けることに慣れてる人間ほどそういう嫌な感覚が芽生えるし、何かに打ち込み続けてる人はそういう壁に当たった時の対処法を良く理解してる気がする。俺は、壁を見たら引き返すことが基本だ。頑張ってる人に憧れながらも自分は登ろうとしない。そうやって生きてきた。いつか越えられるだろうという楽観的な理想を抱きながら、現実の今がある。

人生の腹を括った人の話

知人で1年ほど前に結婚して奥さんと同棲してる人がいる。その人は俺が出会った中で一番、論理的かつ建設的な思考の持ち主で、結婚してから今後の人生でかかるお金なんかをほぼ完璧に見通しを立てて、かかるお金に対した適切な消費をして、仕事を死ぬほど頑張ってる人でもありまだ20代なのにかなり高い生活レベルを誇っている。

 

その人の金融リテラシーはこれまた俺の知人でトップだが、やはり自分は腹を括ったからこそ色々頑張ったが、その環境にならないとやらないと思うという話があった。その通りだと思った。どれだけ人に言われても価値や重要度、行動の必要性を自分で感じないと人は何もしないと思う。俺は今お金についてはかなり重要だと感じ始めているので、金融リテラシー向上と今後の人生にかかるお金、自己資金について勉強を始めている。

 

人の悩みなんか、お金と仕事と恋愛が大半なんじゃないかって思う。例えばバンドマンだったり美術や芸術やってる専門家だったりは、自分の腕が全てだ。作品について考えることだけで脳みそを全て使い尽くすと思う。でもいわゆる普通のサラリーマン≒消費者の悩みは、やっぱりお金と仕事と恋愛だと思う。

 

さっき出てきた新婚の知人は、この3つに対してかなり落ち着いている印象だ。しかしそんな人の方が世の中は少ないだろう。お金と仕事と恋愛のどれか1個でも上手くいってれば、はっきり言って出来過ぎかもしれない。

 

俺の話だけど、お金についてはある程度勉強すれば悩みはなくなるかなと思う。今後の人生で必要なお金、必要な保険は勉強すれば理解できる。それに対して適切な消費をしていけば、とりあえずは豊かになれると思う。

 

仕事については、悩みが多い。ここ1〜2年ぐらいで更にIT方面への興味が強くなり、こっちの方向に思い切り舵を切りたいと思ってるが、まだ色々と勉強や情報収集を「ながら」でやることに落ち着いてしまってるのが正直なところだ。今の仕事を続け「ながら」二足の草鞋を履き続けるのか、スパッと辞めて厳しい環境に身を置きながら本気で働いてスキルを叩き上げで磨き、生きていくのか、未経験の俺がこの決断をするには年齢的には20代までと決めて進めた方が良いだろうな、って、今書きながらほぼ確信に至った。しかし、今の会社で、今の仕事をし続けたいという気持ちが微塵もない。これは大きな問題だ。1日も早く消えるべきじゃないのか?とは思うけど、福利厚生や給与、ライフワークバランスを保ち、ほどよく仕事をしながらお金を貯めることが出来る。さらに手に入れたいIT知識はやる気があれば手に入るということを考えると、やっぱり今辞めるのは勿体無いなって感じる。20代のうちということは、あと、丸2年だ。これがリミットだ。決まった。あと2年で会社を辞めて好きなことを仕事にするための準備を着々と進めます。

 

そして恋愛について。俺には付き合って3年になる彼女が居る。遠距離恋愛で、彼女は仕事というすごい重要なものを、とても大切にしている。今の会社と仕事を愛している。彼女は俺と違って大事なものが限られている。彼女は仕事とそして俺が大事だと、はっきり伝えてくれている。俺は近くに女の子が居ない生活を5年ぐらい送っている。前の彼女も遠距離だったからだ。正直に言って、近距離恋愛をしたいとかそんな気持ちも湧き出てる。魅力的な人ともっと出逢えるんじゃないかとか、この期に及んで考えてしまっている。自惚れも良いところだ。

 

なんで俺はいつも、自分には何でも出来ると思ってるのか。なんで魅力的な人が、俺と付き合ってくれると思ってるのか。なんで良い思いをもっと出来る人が居るとか思えてるのか、不思議でしょうがない。身なりとか髪型とか顔とか全然整えるの下手くそでかっこよくないと思うのに、何で魅力的な人と仲良くなれると思ってるんだろう。なぜ真っ直ぐ好きだと言ってくれる女の子の気持ちに寄り添えないのか。そんなに自信があるのか?そんなに良い思いが出来ると思ってるのか?良い思いってなんだ?

やりたいことって…

俺はなんか側から見れば、やりたいことをやって言いたいことを言ってるように見えると思いますし、実際やれること言えることはできる限り全部出し切るように頑張ってます。

 

しかし中身といえばぶれぶれと言うか、これと言って熱いものが何もない人間なんじゃないかと思ってて、そんな自分が嫌で、なんとか自分の中で熱いものを見出したいってずっと頑張ってしまってる気がします。

 

なんかの癖みたいにいつも他人が羨ましくなっちゃうんですが、それは自分が他人みたいになりたい、そうなりたいのに、そうじゃないからなんだと思います。深く掘り下げるぐらい好きなものがある人は本当にかっこいい。やりたい仕事をして、この仕事をずっと頑張っていきたいって思ってる人は尊敬しかない。俺もそうなりたい。生涯楽しめるぐらいの好きなものを見つけて、やりたい仕事について生きたい。ただ何となく好きなことをして、たいして好きでもない仕事をお金のためにし続けるより、絶対良いじゃんか。って思います。

 

興味があるもの、数自体は死ぬほどありますが、大体浅くなりがちで1つを深くすることがなかなか出来ない。きっとそれが等身大の自分です。きっとそんな人もたくさんいると思う。でも、もっと味わい尽くした方が絶対に人生楽しいじゃないですか。そして感性って実は磨けるもんだと思ってるので、尚更諦めたくないんです。

 

でもなんだかんだで、今は理想に近づいてる段階で、まだ途中なんだなって思えるように少しずつはなって来ました。何となくここ数年でも結構自分に変化があって、なりたい自分に近づけてる自覚が少しずつ出て来た。色んな方向に磨かれてる中で、熱くなれるものや、やりたい仕事はまだ探してる模索中って感じかな。何でもそうだけど、特に大事なものほど奥が深いものほど、そして本気で自分と対話して考えて真剣に取り組むものほど、なかなか手に入らない。長い道のりなんだって思います。

 

しかし人生は有限で、20代はいつか終わり、30代になる頃には周りの友達を見渡すと、結構な数の人が生活を定めつつあると思います。その頃に手遅れにならないような人生にしたいし、逆に20代の決断のせいで、将来の自分の探究心に素直に生きられないなんてのも嫌で、またお前は何も捨てられず全てを無理やり手に入れようとするのかと言いたくなります。

 

ここまで書いて気づきが確信に変わったんですが、俺は理想の自分っていうのが結構強めにあって、そしてそれが文字通りの理想で現実とのギャップは大きく、さらに日々生きていく中であんなことしたい、こんなふうになりたいと思うものが更に増えていき、更に理想と現実のギャップが広がっていき、それを必死に追いかけることをやりたいことをやり尽くすという風に表現してる、無理をしまくってる人間。自分は多分そんな感じなんだと思います。

 

いつもは理想の自分に近づいていけることが面白く楽しく、自信にも繋がるので走り続けてる時は良いんですが、例えば、ずっと好きだったはずのものがある日、そんなめちゃくちゃ好きじゃないかもしれん…ってかこのために色々犠牲にして頑張り続けてるのなんでなんやろ?等の、自分の取り組んでるものに疑問を感じるとでかめのダメージを受けてしまいます。

 

走り続ける中で立ち止まりそうになった時に、理想の自分を思い描いて、現実とのギャップで辛くなりながらも、まだ道半ばでこんな風に悩むことがあるのが当然だと自分に言い聞かせたり、道半ばの等身大の中途半端な現実の自分のことも何だかんだで好きだな、って思えるようなメンタルコントロールが大事だろうなって思います。

 

今やってることに疑問を持った時の考え方で、最近素晴らしいことを教えてもらったので書きます。

 

何かに取り組むことは点を打つことで、点を打ってる最中はそれらが将来、線で繋がって一つの大きな要素になるなんてことが想像出来ない。しかし目の前のことに一生懸命取り組んで打った点は、決して無駄にならない。後から必ずそれが点と点を繋ぐ要素の一つになっている。

 

何考えてんだこいつって感じですよね。その辺の女の子よりも女々しく、理屈っぽいと思います。ごめんなさい。みんなどんなこと考えて生きてるんだろうな〜

ロマンチックについて考える

たうです。

 

何の予定もない土曜の午前中の時間がめちゃくちゃ好きです。あ〜掃除したり買い物したりせなあかんけど、あ〜全部午後で良いや〜ゆっくりしよ〜っていう時間が気持ち良すぎて。

 

前回は自分が熱い人が好きというのを書いて、今回は熱いものについて具体的に書こうと思ったのですが、突発的に書きたいことが出てしまいました。決めるもんじゃないですね。

 

ロマンチックって言葉が好きだなって気づきました。言葉自体はよくデートとかで出てきますよね。例えばめちゃくちゃお洒落で夜景が綺麗なディナーとかそうじゃないかと思います。まあ残念ながら僕がそれが好きとかやりたいとかではないんですけど…笑

 

ロマンチックを簡単に調べると【現実の平凡さや冷たさを離れ、甘美で空想的・情緒的または情熱的であるさま】と出てきます。ざっくり言うと非日常とかそんな言葉と置き換えれるんじゃないかなって僕は思います。

 

非日常って好きな人多いと思うんです。みんな旅行とかドライブとか、遠くに行くの好きな人多いですよね。あれもきっとロマンを求めてのことだと思います。日常も素敵ですが、非日常が人生にとって良い時間になることは沢山あると思います。

 

逆にどこにも行かずに、家で音楽聴いたり映画見たりするのも楽しいですよね。あれもロマンだと思うんです。自分にとって知らない世界に触れるのもそうだし、何となくウキウキしたり感傷的になったりするのが好きなので、映画や音楽が楽しいなって感じます。

 

僕はandymoriスピッツがめちゃくちゃ好きなんですが、それはメロディーラインだったり、歌声だったり、たくさん理由はあるんですが、かなり大きい要素の一つとして、歌詞にロマンを感じるというのがあります。

 

上手く想像出来ない、簡単に言うと何言ってるか分かんねえって感じることが凄く多いんですけど、何となくぼやっとここは情緒的だな〜とか、この歌詞は甘いとか、これは破壊的とか、これはエロいとか、感じれるんですよね。ここに強くロマンを感じます。感情を揺さぶられたり、自分じゃ思いつかない言葉や、表現を感じられるので、知らない世界に連れて行ってくれる気がするんですよね。自分とは違う人間に入って世界を見たり感じたり出来るみたいなイメージです。この感覚ってずっとあったんですけど、端的に言えばロマンチックってことなのかなって思いました。

 

英詞でもロマンはあるのかも知れませんが、やっぱり母国語である日本語で書かれた詞に感じやすいですよね。邦楽が大好きな理由であり、僕が音楽に求めてることの全てじゃないけど大きなものって、ロマンなんだな〜と気付けた気がしました。

 

音楽や旅行のようなありふれたものだけじゃなくて、知らない世界は全部ロマンだと思うし、僕はロマンチックなこと全部好きだなって思います。宇宙の謎とか、世界の謎とか、もっと身近なところだとなんで夢を見るんだろうとか、分からないことって面白いなって感じるので。これからも色々ロマンを追い求めて楽しみたいです。

 

こんな記事を書くためにブログを始めたかったのかも知れないってぐらい上手く書けた。自画自賛。特に趣味アカの人は興味を引く内容だと思うので読んでくれたら嬉しいなあ。

 

ありがとうございました。

 

何かに熱い人が好きな話

たうです。こんばんは。

 

連休明け仕事始めの人、お疲れ様です。いつもありがとうございます。僕も仕事終わり帰り道に書いてます。BGMはLUCKY TAPESです。

 

ブログは1本目を書いてすぐ2本目を書けるかなと思ってましたが、なかなか気合がいる作業ですね…書きたいことは沢山あるんですが、まとめるのがなかなか億劫だなと感じちゃったりします。

 

あとは読みやすい字数って何字かな〜長く書きすぎないようにしなきゃな〜とか余計なこと考えたりしてました。とりあえず書きます。

 

趣味アカを始めてよく思うことですが、趣味があるって良いですよね。とある漫画で読みましたが結局人生を楽しくしてくれるのは趣味だなって。僕もそう思います。もちろん人生の全部ではないですけど。

 

音楽でも映画でも本でも、それ以外でも何でも良いんですけど、心から好きだ!って言えるものがある人、要するにめちゃくちゃ語ってしまうぐらい何かに熱い人が好きです。これは昔からずっとですけど、趣味アカやってるとエゲつない量の音楽聴いてたり映画見てたりする人をTLでめちゃくちゃ見かけるので、最高やなあと日々感じてます。

 

僕の友達にも図書館ぐらい本を持ってる友達が居たり、ウォークマンをいつも3台持ってて音楽を聴きまくってる友達が居て、凄いなあとか羨ましいなあとか思ってしまってます。

 

僕は1つのことに死ぬほど熱中がなかなか出来ない人です。その分、なんにでも興味があって、なんでもやりたい、聞いてみたい、知りたいと思う人です。多趣味で長続きしない飽きっぽいって感じですね。とにかく楽しければ良いという。

 

唯一続けてるものはバンドぐらいです。それも無理を全くしてないと言えば嘘になる。意地が全くないと言っても嘘になる。なくても生きていけちゃうなって感じです。本当に好きなので辞めませんけど。

 

どっちかと言うと友達との予定とかを最優先しちゃうタイプなので、モノよりも人の方が好きなんやろなと自分では思ってます。

 

なのでこれがないと死ぬみたいな、いわゆるNo Music No Life的な感覚を持ったことが正直あんまりないです。人生はバランスが大事とか、とりあえず楽しければ良いとか思って生きてきてるので、その時々いつも楽しいと感じることをやってるのが向いてると思うんですが、しかし自分にない感性とか、こだわり、熱さを持ってる人って素敵だなって思ったり、そこからどんな景色が見えてどんな風に感じられるんだろうって気になったり、羨ましく思ったりしません?します。

 

そんな風に思ってとにかく色々何でもやってみて、なるべく投げ出さずにじっくり取り組むのを意識し始めると、昔に比べると感性が育ってきてるような気がほんのちょっっとだけするので、この調子で頑張って行きます。

 

このモチベーションは何かに熱いそこのあなたです。ありがとうございます。是非好きなことを好きなように語ってほしいです。Twitterは気軽にそれが見れて最高です。さらに会話が出来れば最最高です。

 

次回は広く浅く多趣味な僕があんまりないめちゃくちゃ語りたくなるぐらい熱くなるものについて書きたいと思ってます。(願望)

ブログを始めました。

こんばんは。たうです。

 

衝動で始めてしまいました。ブログです。しかもなぜか趣味アカで公開することにしました。

 

当初は、音楽とかお笑いとか漫画とか映画とか自分が好きなものについてツイートして、それが好きな人をフォローしたり、交流したりして楽しもうと思ってました。

 

しかし、昨今の情勢とかなんかもう色んなことがあって、人生色々あるな…とかのんきに思ったり、なんか日々感じたことをやたらめったら書く大変なアカウントになり、音楽やお笑いを楽しみたい素敵なフォロワーの皆さんを混乱させてないか…?とか思いつつも書くのが辞められなくなり、こんなに書きたい気持ちがあるならもうブログにでも書いたほうが良いんじゃないか…?とか感じ始めたので、やってみることにしました。

 

なので誰かに何かを言いたいわけではなく、喧嘩したり説教したり、世の中にモノ申したいわけでもなく、ブログを書いて変に金儲けしたいとか、誰かに褒められたいとかでもなく、ただ思ったことを書きたい。それだけです。

 

ここまでの文章読んだら、じゃあ1人で日記でも書きゃ良いじゃんって、僕なら思います。でも不思議なもんで、こうやって思ったこと感じたことを、自分の中だけでまとめるんじゃなくて、人に読んでもらいたい、会話したい、その上で共感してくれる人とか居たら嬉しいかも…って思う人もいると思うんですよね。僕は完全にそうです。フォローとフォロワーという双方向のコミュニケーションが自由に楽しく出来るところが、Twitterを好きな大きな理由の一つでもあります。

 

Twitterの140文字までという限られた文字数は手軽なところも素敵だし、その中で色んなことを考えながら書いたり写真を載せたりするシステムも大好きですが、好きなように書いたらどうなるのか、それはそれで楽しいような気がするので一度やってみようと思います。

 

誰が読んでくれるのか全く分かりません。誰も読んでくれないかもしれません。でももし読んでくれる人がいて、そして何か反応してくれたら、それはもう嬉しいです。気軽にリアクションもらえたら最高です!

 

書きたいことがあったら書くというスタンスでいくつもりなので今まだ何も決まってませんが、これについて思いっきり書きてえ〜と思うことは最近何回かあったので、近いうちにまた書くと思います。

 

気軽に楽しくやっていきますので、よろしくお願いします。